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イスラエルの写真
エルサレム、ベツレヘム


Bethlehem
聖誕教会
エルサレムから南に10kmの小高い丘にの上にある聖地ベツレヘム。ヘブライ語で「パンの家」、アラビア語で「肉の家」の意味。教会内にある小さな洞窟の中にはイエスが生まれたとされる場所に銀の形がはめ込まれた祭壇があり、教徒が熱心に祈りを捧げています(右上の写真)。

自らの故郷であるこの地に戻ったヨセフ(イエスの父)は宿を取ることもできず、そこでマリア(イエスの母)はイエスを生む。
Bethlehem
聖誕教会
聖書学者ヒエロニムスによりキリスト教は世界中に広まった。左の像はヒエロニムス。妻パウラの死後、彼女の骨をそばに置きラテン語への翻訳を続けた。足元は彼女のしゃれこうべ。後ろはニュー・チャーチ。
Jerusalem
最後の晩餐の部屋
イエスが処刑の前の晩に、弟子たちを集めて最後の晩餐を行ったとされる部屋。ダ・ヴィンチの作品とはかなり違います。

民衆の心をつかむイエスを恐れた律法学者は、どうにかしてイエスを殺そうと企む。そして12使徒の1人ユダを買収し、ユダはイエスを引き渡す約束をしてしまう。
自らの運命をしりながらイエスはユダの裏切りに逆らうことをしなかった。
Jerusalem
ゲッセマネの園

ゲッセ・マネとはへブライ語で「油絞り」の意。現在8本のオリーブの木があり、それは当時から受け継がれてきたもの。かなりの大きさです。

最後の晩餐を終えたイエスがこのゲッセ・マネに入り、この後に起こる運命を知りながら、父なる神に祈りを捧げていた。
Jerusalem
万国民の教会
別名「苦悶の教会」。祭壇の前にはイエスが祈ったとされる岩の一部が置かれています。

ゲッセ・マネの隣にあるこの教会で、最後の夜、イエスはここでも苦悶しながら祈りを捧げていた。
Jerusalem
鶏鳴教会
モダンな造りの鶏鳴教会。内部も非常にきれいでした。

イエスは弟子ペテロの弱さをも指摘する。
「今日鶏が鳴く前に、3度私を知らないというであろう。」
ペテロは否定するも、イエスが捕えられて後、自分も罪を負わされることを恐れ、やはり「知らない。」と言ってしまう。
鶏の鳴き声を聞き、イエスの言葉を思い出したペテロは外へ飛び出し、激しく泣いた。


Jerusalem
鶏鳴教会
この石段は19世紀に発見され、2000年前のものと確認されているとのこと。実際にイエスが歩いたその道らしい。

ゲッセ・マネで捕らえられたイエスは、この石段を通ってここに連行され、地下の牢獄に留置される。
Jerusalem
エッケ・ホモ教会
エッケ・ホモとはラテン語で「視よ。この人なり。」の意。

夜が明けるとイエスは投獄から出され、ローマ帝国の総督ピラトに引き渡される。ピラトはイエスを許そうとしたが、律法学者がそれを認めず、イエスも弁明しなかった。
イエスはこの教会の地下で自ら十字架を背負った。

Jerusalem
鞭打ちの教会
静かに時を刻む非常に小さな教会。

イエスは茨の冠をかぶせられ、ローマ軍の兵士に鞭で打たれた。
Jerusalem
ヴィア・ドロローサ
イエスが十字架を背負って歩いた道。ピラト官邸から聖墳墓教会まで続いています。ラテン語で「悲しみの道」の意。

十字架を背負い、約1km歩いたイエス。大衆の目にさらされ、母マリアの姿もそこにあった。
Jerusalem
ヴィア・ドロローサ 第7留
ヴィア・ドロローサは第1〜14留(ステーション)あり、その道を歩くイエスに様々な出来事がそこで起こったらしい。

ここに城外へ抜ける門があり、十字架を背負い歩くイエスはその敷居につまずき、2度目の転倒をする。そしてこの門の上にイエスの罪状が貼り付けられていた。
Jerusalem
聖墳墓教会
イエスの墓のある教会。内部にはチャペルがたくさんあり、カトリック、アルメニア、コプト、ギリシア正教などの各派が区分管理しています。

十字架を背負い歩き、たどり着いたゴルゴタの丘。イエスは叫ぶ。
「我が神よ。なぜ私をお見捨てになったのですか。」
そしてついに息をひきとる。その時神殿の幕が上から下まで真っ二つに裂けた。
Jerusalem
聖墳墓教会
塗油台に祈りを捧げる教徒。イエスの聖骸に香油を縫った大理石板です。

十字架から降ろされたイエスの聖骸に香油が塗られ、遺体は亜麻布にくるまれ岩の穴に納められた。
Jerusalem
昇天教会
オリーブ山に建つ昇天教会。教会内部にはイエスがつけたとされる足跡があります(右)。

安息日後、マグダラのマリアが墓に向かうと遺体はない。マリアはそこで泣いていた。そこにイエスが現れる。
「マリアよ。」
イエスは復活後40日間、弟子の前にたびたび姿を現し、さまざまな教えを説いてオリーブ山から昇天した。

※ちなみに僕らはキリスト教徒でも何でもありません。
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